エクスポネンシャルに加速することの意味
技術発展や物事の進捗が指数関数的(エクスポネンシャル)であるという考え方がある。これは世界の覇権を握るような企業トップが一様に持っている考えであり、ある意味宇宙の成り立ち自体がそうである。もしあなたの近くにトップレベルの功績を残した経営者や技術者がいれば聞いてみてほしい。彼らは科学技術の進化がエクスポネンシャルであることを体感的に理解している。
他方、普通の社会生活をしている我々には、このエクスポネンシャルを実感する機会が少ない。いや、実際には多いのだが、エクスポネンシャルな進化を否定する見えない力が我々の思考には働いている。それは、進化の過程において、個体の生命活動が非常に短期的な見返りを繰り返してやっとやっと生きてきたからなのだ。食料を得る、敵から逃げる、配偶者を得る、我々の本能はいかに短期的な生存可能性を上げるかに特化されており、脳の計算リソースを効率的に割くために、理解できない事象を無視しようとする力が働く。
しかし、宇宙の真理はエクスポネンシャルなのだ。倍々で進む。宇宙の広がり、人口爆発、細胞分裂、半導体集積度におけるムーアの法則、インフラの発展、世界の通信量の増加を見れば分かりやすい。それぞれを個別に見れば、S字カーブ的に上限が訪れ臨界に達する。そして我々は気持ちのどこかで進化が止まることを希望する。しかし、その気持ちに正直に従ってしまうのは直線的(リニア)な見方であり、個別の事象しか見ない者を意味する。
例えば、ムーアの法則に代表される半導体回路の微細化には近々限界が来る。それは間違いないことだ。しかし、そこでエクスポネンシャルな情報集積自体の進化が終わるという考え方は物事の本質を俯瞰して理解していない。そのような思考回路を持つ人は技術者としてもビジネスマンとしても大成しない。なぜならば半導体集積回路は、情報がデジタル化し集積していく、その大きな流れのほんの一時期に現れたテクノロジーに過ぎないからだ。
石器時代にまでさかのぼれはわかりやすい。原始人が壁面に情報を壁画として殴り書きした時代から、情報集積は一貫して効率化し、容量も処理スピードも上がってきている。やがてそれは紙に置き換わり、電気回路となり、真空管が接続され、トランジスタが代替し、今半導体集積回路にたどり着いているだけである。それはやがて別のテクノロジーによって補完され代替される。集積回路をさらに積層するのか、遺伝子に情報を組み込むのか、量子コンピューターになるのか、そのすべての混合か。今わかるのは「それは確実に起きる」という事実である。
一方、表面的な技術は変わっても変わらない価値がある。それを理解しなければビジネスにおいても大成はしないのだ。電球製造メーカーは「電球を製造して売ること」がお金を生んでいるのだろうか。いや、彼らが本質的に売っていたのは「明るさをもたらす」という価値なのではないだろうか。それは人類が火を扱えるようになってから連綿とつながっている価値の継承だ。人類は火を使い始め、火はロウソクになり、ランプになり、電球になり、蛍光灯になり、そして今はLEDとなった。技術は変わってきたが「明るさ」という人が求める価値は変わらない。
紙の本はなくならないという人がいる。紙の新聞はなくならないという人がいる。それも一面の真実であろう。これだけ電子的に情報がやり取りできる時代においても、好んでファックスを使い続ける人はいる。スマートフォンが万能になってもフィルムカメラを使い続ける人はいるし、電卓を好んで使い続ける人はいる。しかし、社会全体の本質はそこから全く別のところに拡大してしまっているのだ。地球上には今や紙の情報よりも電子的な情報の方がはるかに多いし、はるかに効率的に流通している。
6つのDとこれから始まるリアル世界のデジタル化
エクスポネンシャルなカーブと我々の直線的(リニア)な思考を対比し、そのビジネスにおける影響をまとめたものに、6つのD(6Ds)というものがある。これはシンギュラリティ大学の創設者でもあるピーター・ディアマンティスが指摘しているポイントだ。つまり、既存のビジネスはエクスポネンシャルな進化により6つのポイントを経て大きな影響をうける。6つのポイントとは、デジタル化、潜行、破壊、そして非収益化、非物質化、大衆化である。
ビジネスにおけるエクスポネンシャルな進化はほぼ例外なくデジタル化から始まる。そして、当初は潜行過程を経ているため、既存の産業からは「見えない」もしくは「見誤る」という事象が生じる。しかし、一旦破壊のポイントを超えると、そのテクノロジーは産業全体を混乱に陥れ、非収益化し、非物質化し、大衆化してしまうのである。これは、フィルムカメラに起きたことであり、携帯電話に起きたことである。そして今、ドローンやVRによってまさに引き起こされていることである。
改めて言うが、ビジネスにおけるエクスポネンシャルな進化はほぼ例外なくデジタル化から始まる。そしてデジタル化が始まってしばらくは潜行過程を経る。このポイントが重要だ。つまり、我々の脳はそのインパクトを非常に小さいものだと勘違いしてしまう。デジカメのプロトタイプを見たコダックの幹部はおもちゃだと思ったし、アイフォンをみた日本の携帯メーカーはそれが普及するとは思わなかった。いや、わかっていたけど脳のどこかで見ないふりをしてしまったのだ。しかし、エクスポネンシャルな進化は常に我々のリニアな未来予測をどこかで超えてくる。その波に乗れなかった産業全体を容赦なく破壊しつくす。
振り返ればデジタル化の波は人類が文字を使い始めた時から始まっているとも言える。言語を使い、それを文字にして情報を記録し始めたことにより、人類はそれまでの地球上の進化過程とは非連続な急激な進化を始めたからだ。一部学者が文字の発明こそがシンギュラリティ(特異点)であったと主張する所以である。明らかに進化の加速がそこで起きているし、デジタル化がもたらしたエクスポネンシャルなスピードの加速である。
情報処理におけるデジタル化は、最初こそその歩みはゆっくりだったものの、徐々に加速しコミュニケーションの限界コストを急激に下げた。かつて情報の伝達スピードは人馬の動きと同じスピードであった。わずか100年前までである。今は地球の裏側まで一瞬で届く、人馬の動きから解放され光のスピードで伝播するようになり、限界コストは劇的に下がった。情報通信に起きたシンギュラリティ(特異点)である。今は、情報そのものが0と1のデジタルに置き換えられ、パケット化され、流れが最適化されている。(TCP/IP化)
あらゆるものがデジタル化するのは物事の宿命である。デジタル化は情報コミュニケーションに先行しておきたが、それ以外のものにも当然起きるのだ。デジタルがリアル世界に染みだして来ると表現することもできるであろう。直近で大きなインパクトを持つのは以下のデジタル化である。
①情報コミュニケーションのデジタル化
②価値の保存と交換(金融)のデジタル化
③物や人の動き(物流)のデジタル化
④生命(遺伝子)のデジタル化
金融のデジタル化は未だ潜行のフェーズとは言え、非中央集権化・分散化の波が地球を丸ごと変えるインパクトをもって蠢いていることは当然皆が気づいていることである。価値を保存して交換する仕組みはかつて「誰も改ざんできないもの」である必要があった。ゆえに貝殻であり、宝石であり、金であり、国家が保証する通貨であったのだ。しかし、それが初めてブロックチェーンという技術によりデジタルに価値を保存し交換することができるようになった。
この後、潜行過程を抜けて破壊のフェーズに達するのは時間の問題である。金融はなくならないであろう、通貨もなくならない、それはファックスがなくならないのと同じ理由である。しかし、価値の交換という本質はもうフィアット(国家の発行通貨)ではなくなるのだ。事実、私の周りには多くのコミュニティーベースのトークンエコノミーを構築しようとする動きが無数に動いている。もう時間の問題なのだ。
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